2012年1月25日水曜日

蓮畑ストーリー and 海のそばと、サビた色々、キケンなやつら

そういえばウチって海のソバなんですよ。




そりゃもう、子供のときから、世の中はきけんでいっぱいだということを知ったんです。




でもその向こうがわってのは、絶対に、エロティックなものが待ち受けていると、子供のときから知っていましたよ。


日本のほとんどは雪だというのに、ここは夏の日のような雲が出ていました。白い絵の具を溶かしたように、きったねえ溜池に映り込んでいます。




やたらカメラに写りたがる、鳶のような鷺のような、なんだかわからない模様の鳥、きたねえ溜池に何度か突っ込んでは、魚を捕るのに苦労していました。





ウチの近くってのは、レンコンが有名なんですよ。ハス。蓮畑。上はこれから収穫する畑。


そしてこれが収穫の終わった蓮畑。畑ってのはもちろん、決して派手ではない物語ってのを毎度毎度繰り返していく永遠に減らない紙芝居のようなもんですが、この蓮畑ってのは墨と筆で描いた白黒のストーリーのようです。








冷たい風がどうしても呼び起こすのは、みずからを子供だと信じたくなかったたあの頃の、つまり海風に、潮にまみれた、要するに、そのう、あの、捨てられていたエロ本を、こっそりどうにかしてゴニョゴニョ、と波音に消えるそれは泡のような青春。






2012年1月22日日曜日

やおら・おもむろ・金閣・銀閣

京都というのは日本でおそらく唯一、突然なんとなく行きたくなって、いつかのキャッチコピーなど唱えながら、ぶらりと訪ねるということが許される、むしろ歓迎される場所である。ただしお金は持っててね。


うむ、これが金閣寺……。


この日の京都は天気がいまいちでありました。


F氏には自動で目線が入ります。いまさらですが。


幸せそうなカップルを凝視するF氏。


「金閣寺にも白い部分があるんだね」「バングラデシュでいうなら、きっと雨季になればあのラインまで水位が上がってくるんだよ」「どうしてバングラデシュで説明する必要があるの」


こちら金閣寺のおみくじはなんと多言語対応。英語・韓国語・中国語。


みたらしなど食いつつ、


しっぽくうどんなど食えば、


あ、これは銀閣寺……。


銀閣寺って、こういうの、だったっけ。


「金閣寺と銀閣寺それぞれの時代の、なんというか、雅のとらえかたの違いってのがあるんだね」「バングラデシュでいうと、早めの時期に市場に出てきたライチはまだ青くて、しかも高いんだけど、それでもやっぱり美味しい! って言っちゃうんだよね、みたいなものだね」「だからなんでバングラデシュで」



さて京都の記憶と印象が、「イコール修学旅行」「してもいない枕投げ」などから脱却し、涙のひとつも落としながら、ああ、あの八つ橋は塩辛かった、などと語ることができて初めて、すこしは世の中のいろいろを知ったなどと、いえるのでしょう。
しかし浅草でもそうですが、この銀閣寺前にもいる人力車の兄ちゃんたち、どうもリキシャぽい形状のものを見ると値切りたくって仕方なくなるのですが。


2012年1月20日金曜日

バングラデシュ珍夜鈍行.第2珍:五感で気付く、こんにちはを言う前に、唐突でもない愛の話




『荒野のロマネスク』を書かれた文化人類学者の今福龍太さんという人がですね、沢木耕太郎さんという『深夜特急』の人とですね、対談をしてそのなかで、今福センセーがこう言うんです、


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世界には二種類の場所があるんだろうと思います。


放っておいても「何か」が起こる場所(サムシング・ハプンズ)と、

自分からアクションを仕掛けないと「何か」が起こらない場所(メイク・サムシング・ハプン)。


日本やらアメリカは後者、日常生活の形というものがもう決まっていて、抵抗なく決まりきったルーティーンをこなすことが可能な社会。

いっぽう前者、東南アジアや西アジア、中南米といった地域は、こちらがアクションを起こす前にすでに周りで無数の出来事が起こっている。

この二つは場所の属性としてはっきりあるんじゃないかと思います。

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と、今福センセー。例えばロサンゼルスやロンドンなんかに日本から遊びに行くとして、それは同じ(メイク・サムシング・ハプンの)世界であるから、旅するという感覚は希薄になってしまう。しかしアジア諸国など、日本とは違う属性の(サムシング・ハプン)世界に入っていくとき、「境界」を越えて別の世界に自分で踏み込んでいく、そこに「旅」を感じるんだ、という。
 

バングラデシュっていう国はそのサムシング・ハプン中のサムシング・ハプンな国だろうと思いますよ、どのくらいハプンなのかというと、ハップンし過ぎて発奮、着いて八分で脱糞ぐらいしてしまいそうな、ま、驚きの連続といいますか、つまりですな、バングラデシュにおけるその「境界」ってのはどんな形で感じることができるのか、それを今回のバングラデシュ行きで確かめてみたいというのがあったのですよ。


2011.12.05 日本出国~香港トランジット~バングラデシュ到着


出発の前夜、福岡中洲でのメイク・サムシング・ハプンを泣く泣くあきらめ「さよなら今夜のロマネスク」などとつぶやきながら福岡空港から出国、キャセイパシフィック航空は台北を経由して香港へ。
香港の空港で乗り換えを少し待ち、いざバングラデシュへ、となるのだが、



唐突に“愛”の話をする。



いや唐突でもない、なぜなら空港なんて場所にいると、どいつもこいつも恋愛映画の主人公になったつもりになりやがるからだ。




こんな感じだろう?


ほいで僕のような常識人からするとね、トランジットの空港のなかってのは落ち着かないよ、精神的にも、肉体的にも、座るところあんまり無いし。買い物をしようとしても高いものばかりで、お釣りで帰ってくる香港ドル硬貨はでっかいし。


誰もを自分てオンリーワン、て気分にさせちゃうトランジットの時間と空間てのは罪なもんだよ。さらには、その尊い主人公である自分以外は、すべてエキストラだと思っちゃってるもんね。きっと↑の動画みたいなBGMが聞こえてるはずだよ、ゲートがならぶ長い通路の向こうから、ほら愛しい人が駆け寄ってくるよ……。そして全力で抱きしめたあとに、そっとつぶやく「love actually is all around」



と、両腕をめいっぱい広げていても誰も飛び込んで来ないようなので、自分がどうやらエキストラらしい場所には用なんてないよ、さっさとバングラデシュへ。




現地時間の夜8時ごろ、バングラデシュの首都ダッカ到着。




バングラデシュ到着、は何度目か、けれど夜は、真っ黒な空を突き抜けて、心細いダッカの灯りのなかに降りるのは、初めての経験なのだ。



冒頭の話、バングラデシュというサムシング・ハプンズの世界への境界とはなんだったのか、それは、数回程度の入国経験からのちっぽけな予想をかるく吹き飛ばす、五感のすべてで受け止めなければならないものだった。
それは着陸直後、乗客たちがいっせいに電源を入れる携帯電話の着信音からはじまり、我さきに飛行機を飛び出ようとするそのエネルギッシュな行儀の悪さ、機外に出た瞬間からだをつつむ、むん、とした生ぬるい空気、そしてホコリと汗の混じった、熱いにおい。入国審査の列では理不尽に二時間ほど待たされて足が棒になり、車まで荷物を運んでチップをもらおうとする誰だかわからない奴らとひと悶着あり、暗闇のなかでその充血した白目だけが浮き出ている、空港の鉄条網に張り付く、何も持たない彼らからの視線、好奇心。


旅をしている、どころではない、「バングラデシュへと来た」と、全身の毛穴が開いて、からだ全部でこの国を感じているのだ。入国後一発目、気合の入った放屁も、心なしかサムシング・ハッぷぅンとうれしそうな。


いたるところで無数の何かが起こっている気配を五感で感じながら、夜のエアポート・ロードをグルシャン地区へと走る。あ、写真撮ってないので↓は誰かの動画。






同行者たちはグルシャン1のホテルにチェックイン。毛穴の広がった僕は、知り合いの家で下品な飲み会、寝ずの二日目へと突入することになる。

2012年1月8日日曜日

バングラデシュ珍夜鈍行.第1珍:まだ日本、いろいろふくらむ出発するべき場所までへの道中



2011年の12月、再々のバングラデシュ行きの機会に恵まれる。

これまでの2回、計3年弱にわたるバングラデシュ訪問・滞在のときにはなにしろ、私をその国に行かせてくれたかのやんごとなき御団体が、なにからなにまで手配をしてくれたもので、非常にお恥ずかしい話、自分でイチからビザとって航空券予約して両替したりとか、こういうのオシャレかしらなんつって、下着……、靴下必要だったっけ、とか、スーツケースちょうどいいのがないよう、など、なるほど人が動くっていうのはこんなに大変なことなのだ! 今更の旅行ド素人ぶりを露呈する。

道中の、けっこうな量の珍写真・美写真があるのでここに掲載していきたいと思う、旅程の順番に沿って礼儀正しくきちんと書いていくのだが、いくら最初とはいっても日本の空港まで移動するところから始める必要があるのか、それとも格好良く飛行機を降りバングラ土を踏みしめた瞬間からなのか、あの乾いた誇り臭い空気を嗅いだその瞬間から始めるべきなのか、せっかく買った新しい下着(ボクサーパンツのヒートテックもどき)を持参するのを忘れて絶望した最初の夜のことからが良いのか、これを悩んでいたら旅行から帰国してもう一ヶ月も経ってしまったのだ。

でもまあ、かの沢木耕太郎センセーもユーラシアバス横断の旅から帰ってきて、『深夜特急』を書き終わるまでに15年以上かかっているというし、なんなら僕もこの今回の1週間程度のバングラデシュ旅行記を70年ぐらいかけてもいいのかななどと思うけれども、そのころにGoogle様が凋落してらっしゃる場合にこのブログサービスはなくなっているかもしれないし、もう少しはやく書きたいなとも思う。

旅行がどうだったこうだった、語り始めるときに、まず始めに用意すべきはBGMだ。


↑BGMは1分ぐらいから流れ始める。からだひとつで旅してる、という感じでいいんです。現地の生活の匂いまで伝わってくるようで。ただ申し訳ないのだけれども、今回の記事は日本出発はおろか福岡空港までもたどり着かないのだ。

もうひとつ断っておきますが、上の動画に映る主演の大沢たかお氏と、わたくし藤井を重ね合わせていただいてもまったく差し支えございません。そのほうがむしろわかりやすんではないかと思っておりますが。いかがでしょう。



2011.12.4 家から出発、新幹線で博多まで移動・福岡空港近くで前泊する



「旅」という気分になれば、いつもの光景もまた違って見える。だから旅行記は、その「旅」をすると、決めたその瞬間からのことを書くことができる。旅をしようと決めたそのときから旅行ははじまっている。




山口県周南市、徳山駅を新幹線で通過する際に見える瀬戸内の工場群。

ランダムな形の雲が、気まぐれな風にたなびく、その地域の「生活」が形をかえてあらわれた工場の煙、をとらえて、かたむき始めた太陽の光と混じる、旅に出る僕のすがたは確かにそこに小さく、シルエットとして存在しているのだ、などとはまったく思わず、景色そっちのけで今回の旅でいくら小遣いが使えるのか、果たして出発までに博多で中洲へ繰り出せるのか、というこれもまたひとつのリアルな旅情を、感じていたのでありました。

だからこの日写真は2回パシャ、としただけ、ふふっ。