2011年7月2日土曜日

早朝に河川敷で爽やかなフリをすりゃそりゃ後悔しか残らない



僕はついに河川敷に出会った!

ずっと憧れていたのだ「川べり」というその場所自体もそうだし、そこを川に平行にタラタラタラタラ散歩して、あらこんにちは、大きくなったわねえ、というその表層的な、あまりに形骸化されたコミュニケーションというか、そうだ青春なのだよ、金八先生といえばもちろん荒川の河川敷だし、ジョギング中の金髪ねーちゃんとすれ違って見とれた瞬間ボールが飛んできて、あいたーっ、なんつって、すいませーんとか近所の学校の中学生どもが、ようし行くぞおにいちゃんこう見えても元広島カープなんだから、っつってもこんなとこにカープファンもおらず、という青春だ。寅さんもそうだ。江戸川の河川敷。下手な絵描きなんかがいて、その様子を見物する若いアベックなんかがいて、寅さんがひょっこりその後ろからのぞいたら、知らないうちにカバンがごちんとあたって、アベックの男のほうが絵描きの絵に突っ込んで喧嘩、画面ではだいたいこの辺で星野哲郎の名前が流れてる主題歌の紹介。



今回の住所の近くには、多摩川の河川敷があるのだ。今朝やってきた。だいたい今までのところには河川敷、ザ・川べり。ってなところがなかったのだ。地元の山口は海は近いがなかなか、錦川という錦帯橋がかかる立派な川はあるが、小学校のときに何度かここでおぼれているのでコレ却下。バングラデシュにいたときにはジョムナ川というガンジス川の支流でこれまた立派、立派というか雨季には川幅が一気に広がって中洲の村ごと飲み込んでしまうような大物過ぎる川があり、川べり、というのんきなものでないので却下。やっとこさ多摩川の河川敷だ。歩いてこれる距離だ。早朝、ジョギングでもしている爽やかにいちゃんを装って、来た。

けれど僕はひとつ大きな間違いをした。


早朝過ぎた。明るくはなっているが人もほとんどいない。ジョギングをしているミスユニバース候補もいないし、佐藤蛾次郎もいない。告白を控えた純情童貞中学生もいないし、さすがにこれぐらいは朝でもいるだろう、と思っていた、喧嘩をしてゴロゴロ河川敷の坂になった芝生を転がってワハハハ笑い出すチョイ不良の男ふたり、すらいなかった。

早朝の河川敷には、物語性はなかった。いや今の自分には、川べり初心者の僕には、早朝の河川敷から何かのドラマを感じ取ることができなかった。僕は早朝出勤するサラリーマンや女子高生の群れにそっと紛れ込み、涙を隠しながら家へと帰った。




そんな素晴らしい妄想の吹き溜まりである河川敷。多摩川の河川敷。写真はぜんぜんなんちゅうこともないものだった。だって、早朝の川べりで、カメラを「ヘシコーヘシコー(自分のデジカメ【パナソニックのGF-1】はシャッター音がこういう福井名物のおつまみみたいな感じなのだ)」といわせていると怪しいのだもの。