2010年12月20日月曜日

品川、東京








2010年12月18日土曜日

大門でなんとなく混乱した後、なんとなく早めのクリスマス:東京、大門・品川

大門、てのはやはりその響きからして男をちょっとザワつかせる力を持っている。ゼッタイに。ダイモン。ダイモン。意味を考え始めるともうだめだ。その日いちにちが潰れてしまう。大きな……


むかし東京に住んでいたときに、大江戸線をよく使っていた。そこでよく聞く「大門駅」という官能的な響きがずっと気になっていたのだが、こうやってちゃんと歩いたのは今日が初めてだ。

ダイモン。ちゃんと歩いたのは初めてだが、ここを一回も立ち止まらずに疾走したことはある。「第一回世界、大門なのに狭き門コンテスト」出場の折、「東京むちゃぶり野球拳」部門で、すっぽんぽんのままに、この大門周辺のわかりにくい地下鉄の駅でスタンプをすべて押してくる、という指令を受けて、ま、嘘です。


歴史的な景観と現代的な建物が共存するのは、きょうび、先進国の都会じゃあどこでも見られることだろうけど、なかなかいいのよ。官能的よ。なんてったってアヴァンギャルドよ。


で、ダイモンで何してたかっていうと、品川駅らへんで暇になったので、なんとなく歩いていたら、ここまで来ちゃったというだけなので、そんなとき若者は、自分の存在理由を決めたがるものだ! そういうわけでありもしない大門についての官能的な記憶を捏造するに至りました。





夜には品川に泊まるのだ。なにをって、一足先のクリスマス。いいもんだね、こういうのって、って、
ブッシュ・ド・ノエルで殴り殺されそうな事態もあったんですがね、なんとか生きてこうして、ブログの更新ができた! そういうわけです。メリークリスマス、早めの。


シャワー室が透けているけれど、見てくれる人がいないパラドックス:東京渋谷

渋谷に来ているよ。ビジネスホテルが高いなあ。値段。


たいして眺めも良くないし、


金が無いからコンビニ弁当だよ。でもビールはプレミアムモルツだよ! こういう、オシャレーなデザイナーズな建物って基本的には狭いんだね。あ、ボクが金持ってないからか。シャワー室がガラス張りで、テレビの向こうに裸体が見える、ってやたらアヴァンギャルドな間取り、これが渋谷の展開か、とワクワクするけど、ひとりで泊まってるからね、そうパラドックスなんだよ。

2010年11月28日日曜日

「じ」でも「ぢ」でも、どっちだっていいよ。お尻の話しかしないつもりだよ。

はっきり言って今夜はケツの話しかしない。お尻の話オンリー。限定ヒップナイト。罪と罰と肛門。ぜひおシリ合いにも薦めてあげてください!

なぜこんなに興奮しているかというと、今日突如「いぼ痔」になったからである。それは今朝気づいたのが……、

ちなみに今気づいたのだが、「痔」というもじは「ぢ」で変換するもんだと思っていたが「ぢ」にあたる漢字は出てこない。「じ」なのである。IMEだからか。それってちょっと違うんじゃないのかな。

「じ」と「ぢ」では痔面が、まちがえた字面がもうコレまったく違うんだよ。「雰囲気・ちょっと違うよね」それどころの騒ぎじゃないんだよ。我々のね、せまっくるしい個室でひとり苦しまなきゃいけないあの悲惨な状況を、「じ」とかいうフッツー、普通ーな文字で表して欲しくないんだよ。なんですか「じ」って。そんなジジィみたいなジでジージー言いやがって、「ぢ」は「ぢ」なんだよ。じゃあ何か、逆に「じ」の字を使うものに「ぢ」の字をあててみてやろうか。俺は「藤井」だけどな、「ふじい」が「ふぢい」になるってことだ。ホラ、元の紫の藤の花に囲まれて小さな井戸が佇んでるというイメージから一気に、なんだか番付の間違いで強い関取と取り組むことになって、予想通りあっというまに土俵のふちに追い詰められて泣きそうな顔になっている若い相撲取り、みたいな感じになったじゃねえか。まあええわ。



「痔」自体に驚いているわけではない。

僕は普段から切れ痔をずっと何年も何年も抱えた人間であった。ま、今もそう。言うたら「切れ者」ってやつやね。尻が切れた者、としてだね、もはやなくてはならぬ、なんというか切れてる様子がないと逆に不安、ティッシュに血が付いてないとさみしくなっちゃう、てなもんやね。バングラデシュにいたとき、あっちは水かけながら左手でさわさわしてケツを洗いますからね、そんな生活三年もやってたらなんか切れ痔が治っちゃった、なくなっちゃったような気がしてたんだけど、帰国して半年も経ったいまでは当たり前に切れてるね。今日もいい赤だね、っつって。へへ、やっぱコイツがいないとダメなんだ、って。まあええわ。

しかし「いぼ痔」は初めてである。お尻に感ずる初めての違和感なんとまあ、これは、実に……。もちろん自分では見れないので、四つんばいになりながら鏡でどうにか、などジタバタもしてみたがこれも無理、最後の手段というので、わが愛しの愛機・パナソニックデジタルカメラGF-1をセルフタイマーにして椅子におき、その前でケツを自らおっぴろげて待機。このカメラでの初めてのフラッシュ撮影がこれであった。あ、こういうのをセルフポートレートっていうのね。



「外痔核」というやつなんですよ。外のいぼ痔、ってことね。

↑の単語で検索をすると、モロな画像が出てきますのでご注意。

2010年11月10日水曜日

お前のためなら鬼ヶ島・犬に萌えてんだよ

うちには犬がいる。


歴代何匹かいたのだが、現在は一匹の犬がいる。


「あげます」のチラシを見て「もらいます」ということで、うちに来た。名前はモモである。このモモという名前だが、メルヘンの祖ともいえる敬愛する児童文学作家ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」の主人公の名前であり、これと、同じく氏の代表作である「果てしない物語」に出てくるヒロイン「幼ごころの君」という名前、この二作のどちらから名前を拝借するか迷ったのだが、うちの祖父が「おい、幼ごころの君、エサだぞ」と呼ぶ姿が想像できないために「モモ」となった、というのはもちろん嘘で、

言うまでもないことだが「モモ」という音を聞いて真っ先に思い出すのはバラ科モモ属の落葉小高木であり学名をAmygdalus persicaという「桃」の果実のことであり、そもそも僕が生まれたのが何を隠そうこの桃からということもあり、小さい頃ひょんなことから鬼ヶ島というところに行ってきた経験をブログにアップしていたところそれが出版され「桃太郎」という児童文学として語り継がれている。かつてキビ団子ひとつでホイホイついてきた先代の犬(こっちの名前はペコだった)に思いを馳せるとともに、うちのシンボルである桃そのものを、というのも実は嘘である。


僕が名付けたということは覚えているが、由来はさっぱり覚えていない。


ちなみにメスである。

「あげます」と言ってたひとの家にもらいに行ったとき、もともと六匹の赤ちゃんがいたなかで既に四匹は他の人にもらわれていっていた。残っていたのはこのモモともう一匹のオスだけだった。

なぜこいつが残っていたのか、その理由は覚えている。

ブサイクだったからだ。


残っていたのは二匹ともブサイクだったのだが、オスよりはメスのほうがいいかな、というなんとなくな理由で、こいつをもらって帰ってきた。

しかし、いまやこいつは美人ちゃんである。


今ではそう思っている。見れば見るほど味わい深いそのとんがった耳、いつまでも数えていられるヒゲ、艶やかに色気をかもす濡れた鼻、


その奥二重まぶたの瞳には何が映っているのか、まあ萌えちゃってんである。こいつのためならもういちど鬼ヶ島でもバングラデシュでも行ける、というのはちょっぴり嘘だが、まあカワイイ、そんな犬がうちにはいる。




2010年11月7日日曜日

散歩の道はいろいろなことがありました

今日は雨降ってるんですけどね、日曜日です。

最近は朝に走るようにしている。いや嘘、歩くようにしている。とかなんとか、「している」とか書いちゃってなんだか、「俺って能動的よ」みたいな感じでムズがゆいんだけど、「朝になると、湧き出る荒ぶる高ぶりに突き動かされるようにして俺は」というふうにしてもいいんだけど、官能小説みたいでやめた。

走っているのは本当。あ、歩いているのが本当。

なぜか? そこに道があるから? 道が無くても歩くことはできる。パンツが無くても暮らすことはできるし、腹の肉が無ければ、と思うことはできる。なんで歩いてるんだろう、あんまり理由が無いなあ。でも朝6時ぐらいの、この時期の明け方の、あの卵の黄身の色した空を見てると、どうも腹が減るんだなあ。

初めて歩いたり走ったりした朝、筋肉痛じゃなくて、モモのあたりがなんだかかゆくなった。慣れないものを体が受け付けなかったのね。

団地のいちばん上まで上がると、瀬戸内海まで見渡せる。夜に来れば、飛行機の光が途切れない岩国基地の敷地が綺麗に浮かび上がる。この場所は最近、といっても5、6年前か、新しくできたバイパスで、まさか自分の家がある団地を見下ろせる日が来るとは思わなかった。


海にちょこんと見えるのは、乳首のようにポコッと盛り上がっている「おっぱい島」、と呼んでいるのはこの辺のクソガキだけで、知性のある僕ぐらいになると、ちゃんと「甲(兜)島(かぶとじま)」という名前なのを知っている。ほらだって、兜みたいな形してるもんね。兜? 見たことあるよ、仮面ライダーで。

この甲島はちっちゃい無人島だが、かつてはこのあたりの漁業権(メバルがよくとれるそう)や採石、採草権、肥沃な土壌を持つこの島の所有を争って、山口県と広島県のあいだで怪我人が出るまでのモメごとに発展したそうだ。
このどこかで聞いたような「島の所有権争い」は明治時代に内務省があいだに入り、なんと島の半分で境界を引くという荒業で決着がついた。つまり現在この島は、半分(北東部)が広島県大竹市、のこり半分(南西部)が山口県由宇町、というなかなかに複雑な歴史を持ったおっぱいなのである。

そんなおっぱい、じゃなかった甲島を遠くに見ながら、ひたひたと僕は、かつて犬の散歩をしながらエロ本落ちてないかと探し続けた、懐かしい道を歩いているのです。


牛の楽園 甲島(中国新聞)

2010年9月19日日曜日

「しばらくだね、ドッグランで待ってるよ」:渋谷での再会は擬音語が多くてね

なんてったって東京である。

久しぶりに、僕が日本で最も好きな場所のひとつ、池袋ジュンク堂へ行き、テンション上がったり案の定便意をもよおしたりして、ジョージ秋山の未発表単行本などを買いつつ、ますます荷物重くなりながら、カバン買おう! と西部デパート、気に入ったのがあったので、旅行カバンを買ってそのなかにこれまで持っていたカバン×2を入れてみると、なんだか肩に食い込むほどの重さが、やたらに旅情を盛り上げる、なんつって序盤からこの重さはキツいなあ、でも俺は今は東京の人、歩くスピードはゆるめないぜ、颯爽と風を切って西部デパート最上階、ごったがえす食堂街でステーキをひとりで食べた。ブクロサイコーだなあ。

夕方、中学校のときからの友人とこに行くのです。渋谷。彼は現在はフリーでシステムエンジニアのようなことをしており、ちょっと実入りがいいもんだ、っつって最近、明大前から渋谷駅近くに引っ越した。私の貴重な変態友達のひとりである。

「代々木公園にいる。ドッグランにきなよ」

原宿。明治神宮には何度か来たことがある。ああ、昔サーカスを見に来たことを思いだした。冬だったろうか。ひとりで行ってかなり早い時間についたので、ビールをたらふく飲み、上映中にはなんというか、こう非常に急上昇、かなりのアクロバティックな尿意に襲われ、目の前で繰り広げられる奇抜な演技も目に入らず、下半身がサルティンバンコ! といった感じで、もう涙目。演技ごとの拍手がああ、膀胱に響く! いちど席を立つと演技が一段落するまで再入場できないと聞いていたので、なるべく我慢した結果、あわや「観覧中 興奮のあまり放尿し 号泣住所不定無職」と無意識に五七五七七になってしまうような記事になるところであった。早めの決断が大切だと教えてくれた、そんな原宿に久しぶりに来た……。

明治神宮前はコスプレ集団が占拠していることで有名だ。この日はメイドの格好をした外国人の集団までいて、うしろのひんやりとした厳粛な境内の風景と、原宿のファッショナブルっちゅうかそういうぴちぴちした雰囲気のあいだにそういうのがあって、「ザ・これが日本!」という感じだなあ、ってんでもう、通り過ぎた。



代々木公園入り口、ロカビリーな集団がいる。ラッパーな集団がいる。制服の集団がいる。カメラマンの集団がいる。わけのわからないひともいて、あ、俺もか。なんだサーカスよりここにいるほうが面白いじゃないか。


友人のT氏は、最近買い始めた犬を遊ばせに、ここ代々木公園内のドッグランに来ていた。まだ五ヶ月のチワワと走り回るT氏。そのチワワの名前が、ピョンピョンちゃんだったか、ポンポンだったか、リンリンランラン、テンテンなんだか、とにかくそういうやつだった。

こいつは可愛い。








夜は以前のT氏のアパートがあった明大前へ。目当ての焼き肉屋がある。「じゅうじゅうぼうぼう」という。ここはホルモンの刺身がたくさん食べられて、生肉食系男子の僕は、なんというかもう、大好き。

君がロイヤルミルクティーとはね:顔を見て判断すべし

移動する理由がある! というので今日は動いてみるのです。

新岩国→東京、まで切符を買っていたんだけど、なんだかムラムラして、それが理由だということで品川駅で飛び降りる。

すると改札内、自動販売機にむかってケータイやらカメラを向けている人々がいる。「ははあ、ついにコーンをひとつも残さずに飲み干せるポタージュスープのおでましか」とジャーナリスト気分でその人だかりに近づくと、なんだこれ


ディスプレイに表示されたジュースをタッチして買う、なんとまあ「あたらしい」自販機である。ジュースを入れ終わった業者の兄ちゃんが説明するところによると、顔を認識してオススメのジュースを教えてくれたりもするらしい。

へえー、ちょっとボク、買ってみるよ。



ぴこんぴこん、客が前にいないときにはいろいろなお知らせが表示されている。もうすぐ敬老の日だからなんたらかんたら、というアニメーションが流れていた。近づくとパパッとジュースが並ぶいつもの自販機に早変わり。

お、並んでいるジュースのなかで、「オススメだよ!」という体で何本かの飲み物が光っている。えー、ポカリですか。コーラも? なんだかボク、ミルクティーな気分なんですけど。

でもまあ貴方がそこまで言うのなら、ということでオススメされたコーラを購入する。ご親切にありがとうございます。ペットボトルのフタをひねる、パシュッという心地よい音が心地よい。ボトルを傾けてコーラを流し込めば、のどを通り抜ける快感。乾きをすっかり潤したボクは、そうか、これは貴方の「心」が込められた愛の飲み物なわけなんだね、ありがとう。確かに「心」が、ボクの体をラララと駆け抜けていったような気がするよ。つまり心のラララでコーラなんですね。

などと思うには至らず、ま、コーラはコーラでした。

この顔認識の精度がもっと上がると、つまりはボクの最近気になるポッコリおなかをちゃんと見抜いて、ヘルシア緑茶を勧めてくれるんだろうし、凍える冬に立ち寄れば、暖かいコーンポタージュを用意してくれるのだろう。さらには購入者の「人生」まで見抜いて、たとえば深く傷ついて「ああもう人生なんて」というときには、青春時代、初恋の相手と一緒に飲んで、間接キッスにドキドキしたマウンテン・デューなんかをそっと差し出し、荒れ果てた気分を慰めたりしてくれるのだろう。

などと考えてニヤつきながら、コーラだったコーラを飲みながら品川駅をあとに。連休のためホテルがみつからず、探しに探した茅野町のビジネスホテルに宿泊したのであった。



2010年8月14日土曜日

大分県姫島村、盆踊り キツネたちに魅了される祭り

8月のこの時期、大分県は姫島村で盆踊りが開かれる。

有名なお祭りらしいが、大分県で唯一の村であるこの姫島村の盆踊りは、延々と歌われる姫島盆踊り歌にのせて、地区ごとにわかれた踊り手の組が、キツネ踊りやアヤ踊りに代表される伝統踊りや、ハワイアンとか女子高生みたいなんや沖縄踊りのような、創作踊りを順々に見せてくれる、なんというかバラエティに富んだものなのである。
そのおもしろさは、「姫島盆踊り」で画像検索してみると……。

山口からこの場所へ行くのはわりかし簡単。スオーナダフェリーで徳山港から大分の竹田津港へ。


乗っているのはもちろん写真の船ではなくて、ま、乗ってるやつから撮ってんですけど、巨大な建築物で興奮してしまう私にとって、この瀬戸内の工業地域にある工場群は、船酔いする余裕もないほどによろしい眺めなんでございます。

色っぽい工場群もすぐに姿を消して、しばらくは何もない、島も見えない海原を進むこと二時間ほど、と詩的には書いてみるが実際にはビール飲んでちくわ食べてフェリーの客室で寝っころがっていればすぐ、の距離です。

竹田津からは車ですぐの伊美港へ。そこから姫島行きのフェリーに乗ります。

なんつっても盆踊りだから、やっぱり今はお盆で、ちゅーたらなんつってもそりゃ人は多いんで、祭りだからそれ目当てに来る人もいっぱいいらっしゃるわけで、なんつっても前にも書いたけどマットウな暮らししてないのに世間のラッシュに巻き込まれるのはなんつっても切ないのぅ、とは思いますが、こうして当たり前の混雑に巻き込まれるのも、祭りの一部じゃのう、なんつっても。なんつって。

さてこの伊美→姫島は20分そこらで着きます。そこは姫島。あ、暑い……。

姫島は小さな島です。中心地は歩いてまわれそう。が、暑い……。

カキ氷でも喰らいながら、涼しくなるのを待つのです。盆踊りは夜。

2010年8月7日土曜日

山口ちょうちん祭りにてイクラが落ちる

8月の6日と7日、この土日は山口ではお馴染みの「ちょうちん祭り」があるのです。

もちろん、「超・珍祭り」ではなくノーマルなちょうちんなので、秘宝館に行くときほどの下心は持ち合わせてはならないが、山口市道場門前のアーケードで行われるこの祭りは、子どものころから何度も行った、いや特に超珍な思い出は無いのだけれど、とにかくこの山口にいて「ああ、夏がきたなあ」と思わせる(には7月からやたら暑かったが)お祭りで、とにかく、良いですよ。

さて家族と写真を撮りにいったのだが時間をつぶしてもまだ明るい。



暗くなるまで、ということでアーケード内の居酒屋に入り、なぜか沖縄料理を食いちらかしながら、「勝てばもう一品」の店員さんとのじゃんけんに全敗したりと楽しくやっているうちに、ちょうちんに火がともるのです。ライトではなく本当に火を入れます。なのでたまに燃えてるのもある。



でも、あーん、もうブレまくりの写真、携帯で撮ったやつみたいに。他のもぶれてぶれて、なんだか空から巨大なイクラが落ちてきているみたいな写真で、ああこれはこれで超が付くほどの珍祭りだなと思うのも酔っているせい。





へへ、下から撮ったら逃げないぜ、このイクラも。

特筆すべきは、よくわかんない福引きで4等が当たり、腕を押すとなんだか死にたくなるような呻きをあげながら暗黒舞踏をする犬のぬいぐるみをもらったことと、浴衣をきた女子大生(たぶん)四人組に「写真を撮って」と言われ、一緒に、かと思ったらそういうことではなく、せめてこれだけはブレないように……、とふらふらシャッターを押したことです。イクラ食べたくなった。

2010年7月31日土曜日

寝るまでが寝苦しくなければ

寝る、のが好きだ。

いや純粋に眠ることです。セックスのことではない。いやいやセックスが嫌いということではなくてそりゃ、好き、といいいますか、いや大好きですし、むしろ愛して、いるのは言うまでもないので、よいとして。

暇を見つけては眠るようにしているが、ちゃんとした「ねむり」に入るのはなかなかに遅い。人より遅いんじゃないのかと思う。比べたことはあまりないように思う。目を閉じて、足を投げ出して、腹の上下に呼吸を感じながら、「ああこうしているあいだにも、時間は過ぎていくのだなあ」「人生が減っていくよ」などと思いながら、もちろん視覚は一応お休みと、いうことになっているので空気のにおいや、網戸から入ってくる冷たい風なんかを感じながら、うだうだとしている、そういう時間を愛してる、というのです。


さて夏は暑い。


寝苦しい、のが別に嫌いではない。

暑くなくても快適な夜でも、特に寝付きが良いほうではないので、この眠れない時間に頭のなかでうろうろと、次起きたときには絶対に覚えていないようなショーもねぇことを考えるのも楽しい。

2010年7月30日金曜日

小倉は日帰りできる場所:センチメンタルな新岩国駅

中学時代からの深い友達、つまりはかなり変態的な会話までを挨拶のように交わすことのできる相手、と小倉まで遊びに行くことになった。この友人は今では、勤務時間が不規則な立派な仕事についており、ぽっこりと休みになったこの一日を狙い澄ましての小倉行きである。

朝出発、この友人が昔住んでいた団地の近くの、墓場なんかがあるらへんで写真をなぜか撮っていたようで、変な時間に新岩国駅着でいきなりの一時間待ち。

ご存じ山口県は新幹線王国であり、駅は五つもあるものの、そのいちばん東に位置する我らが新岩国駅には、各駅停車の【こだま】のみが止まることを許されている。

つまりは都市部のような軟派な駅とは明らかに一線を画し、「次のがすぐ来るだろう」なんて呑気な考えは死につながると言ってはもちろん過言。時間ぴったりに行けばそれはそれで焦るし、ちょっと時間があるなというときでも、錦帯橋の模型でも見ますかね、とやってももちろん二秒で飽きるし、かなり待つときにはどう時間を使うかという人間性、それが試されるわけで、これは同行者との今後の関係を占うには成田空港以上の物語が繰り広げられる、そういう場所である。

とにかく、今回のように最も待つパターンで一時間待ち、そんなときにはおとなしく、駅前の喫茶「まつば」で遅めのモーニングを食べるに限る。ゆで卵を食べながら、お互いの携帯電話の電波の入りなどを自慢しあっていれば、軽く時間など消費できる。軽いものだ。



こだまといってもやはり我々ぐらいになると1時間待った挙げ句、すでにテンション下がりかけながら乗り込むのはナチュラルに500系こだま。元のぞみだったボディを持つスレンダーな美人ちゃんである。どうせ僕喫煙者だし、といちばん端っこでポツンと待っているのは危険だ。500系こだまにはいちばん外側の乗車口が無い。そもそもこいつには喫煙車両も無いのだ。

そんな無い無いづくしの新幹線に乗ってみれば客も無い。この車両には我々二人組しかいない。こりゃ1時間待った甲斐があったわ、ってんで運転させてもらった、のが上の写真で、他には誰もいなかったのに凄く恥ずかしかったのは付記するべきだろう。




工場萌えの身としては徳山通過時は興奮する。キレイだ。







お目当てはあったのです。北九州市立美術館でやっている「生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展」。500系こだまで移動する身分なら休日もアカデミックでないとね、というのは嘘で、これは友達が行きたい行きたいうるさかったからなんとなく着いていったものです。そういえば新幹線を1時間待っていた喫茶店の「まつば」でもミュシャの絵がかかっていたなあ。演歌も流れていたなあ。