2009年11月30日月曜日

夕焼け・11月のおわり編




夕焼けばかり。手前は緑。こうして見ると首都ダッカも木が多い。歩いてみるとそうでもない。

2009年11月29日日曜日

アスファルトに消えない血・コルバニイード

今日の写真はわりかしショッキングかもしれません、といっても牛を解体しているところです。犠牲祭の模様の写真です。苦手なかたは半目にしながら読んでいただくか……、得意なかたは……

 

今年のコルバニ・イードは首都で。前回二年間、二度のコルバニは村にいたので、村のなかのおおきな広場みたいなとこで、みんなが共同で買った牛がわんさか集まって、土の上で30頭ぐらいの牛が一度に解体されてたりなんかして、それはそれで壮観ではあったのだが、

ダッカの、都会の、今回写真をとったバリダラ(高級住宅街)の、犠牲祭もまた、これまた、衝撃というか、なんというか、住宅街なので、それぞれが家の前で、やたらにでっかい(金持ちだから)牛をバラしている。アスファルトだから、血がしみこまず延々と流れていく。いたるところで作業しているもんだから本当に血なまぐさい。遠巻きに解体を見る金持ち一家と、作業を行う雇われ青年と、肉をめぐんでもらうのを袋片手にソワソワ待っている物乞いの方々と、カメラ片手の外国人。












あとで流すのだが……



昨日の記事に載せたでっかい二頭です。





 牛ではなくヤギのところも


解体された牛は、骨も内臓もまったく捨てるところがない
この日残るのは皮だけ。それも売られていく。




アスファルトのうえの血は、息を呑むほど鮮やかだ。



犠牲祭、どれだけの貧しい人間に肉を分け与えたか、それはアッラーに対する信仰のあらわれである。この日、高級住宅街バリダラ地区には、一年でもっとも(自称)貧しい人間が集まる。配布をはじめる家をさがし、肉をもらう順番を待つ。


夜になっても

2009年11月27日金曜日

今年は明日。11月28日。




11月27日、夜。なんてことはない、月である。

やや肌寒くなった11月終わりの夜に出たいつもどおりのやや欠けた月、なのであるが、本日これが出たことで、明日がコルバニ・イード(犠牲祭)であることが決定する。

首都ダッカでコルバニを迎えるのは三年目で初めてのこと。いたるところにつながれている、明日のための牛牛牛。



ダッカのコルバニ用の牛は、でかさが違う。


地方の村で、親戚みんなでちょっとずつお金を出し合って買った牛とは、もちろん質もでかさも違う。キンキラキンに飾りつけられているのもいっぱいのダッカ住宅地。明日はいたるところが、血みどろになる。犠牲祭の日なのである。




僕のいのちも明日まで、というあきらめか、これでアッラーのもとへ、という誇りか、それとも何もわかっていないのか、犠牲祭前日の牛の表情については、諸説ある……。

2009年11月23日月曜日

いちごいちきろ、すぐ忘れる

書いておかないとすぐ忘れる。

あ、写真はとってないんですわな。なのですぐ忘れる。


今日のオフィスからの帰りに立ち寄ったスーパーマーケット。イチゴがなかったんです。というのはつまり前はあったということで、そのときのことを今書いている。ほんとうに、書いておかないとすぐ、思い出さなくなるのです。このバングラデシュというやたら密度の濃いところにいても。

イチゴ、という果物は、今まではこの国では無かったものなんだけでも(輸入の冷凍ものはあった)、昨今、富裕層の消費者に向けて、国内での生産が始まっているのでありまして、NGOやいろいろのところでチラホラと生産しているという話は聞く。ただ生のイチゴ、日本で売っているのと同じような感じのパックのものを店頭で見たのはこの前(一週間ぐらい前)がはじめてのことだった。そうそうそのときの話。

10個いりのパックで売られていて値段は書いていない。


おそるおそる、店員に「いくらでしょうか……」こんな小汚い僕でも買えるような、いや一応外人ですけど、お金はあまりなさそうに見えるかもしれませんが、たとえば奥さんとの結婚記念日なんかに奮発するぐらいの覚悟は持って、このスーパーマーケットに来てるんです、奥さんいないけども。

などと聞いてみると、こちらのその一瞬の悲哀の物語などに動じる様子も無く、店員さん、「1KGが2100TKです」とおっしゃるのです。

いや流石。

日本じゃ食べられない美味しーいマンゴーが1KG100円で買えるようなこの国で、おなじ1KGが2100TK、つまり3000円ぐらい、というのはまあコレ、さすがのストロベリーである。10個パックは250gと書いてあるので、つまりは750円ぐらいでしょうか。あれでもこれよく見るとオーストラリアのやつだよ。輸入だよ。冷凍じゃないんだあ、へえ、でも高いね……、

と果物コーナーで悶絶、放屁などしていたのが、一週間まえの話。


で、今日はなかったのです。イチゴ。ひとつも置いていなかった。売れたのかなあ、売れないからやめたのかなあ、というのが今日の話。こういうのも書いておかないと、すぐ忘れるから。

2009年11月22日日曜日

CNGに閉じ込められるときの哲学

ダッカです。

ダッカといえば渋滞、を起こしているのは我々。乗っているのが車、でそれはリキシャからバン、オートバイ、乗用車、バス、トラック、ミシュック、電気リキシャ、と、忘れちゃいけないCNG。

このクリーン・ナチュラル・ガス(別の説もあったか)で走る革命的、こま鼠的、愛すべき小さな緑のあんちきしょうは(別の色もあるよ)、我々協力隊にとって、都会での(地方にも最近はあるよ)貴重な足である。

そんなCNGにこの二週間ぐらいで、明らかな変化が見られる。ドアである。普段客である我々が乗る後部座席には左右のドアなど無かった。長期契約や買取で利用する「プライベートCNG」と呼ばれるものにはドアが付いていたのだが、流しで色々な客を乗せる、「普通」のCNGには無かった。つまり乗っていて寝返りを打てば、外に放り出されてリキシャか車か牛かヤギに踏まれるだろうし、むしろこのドアが無いからこそ、座席の空間を超越して、じゅうたんや電柱や野菜など各種荷物を、容量500%ぐらいまでは積むことができていた。

現在、ダッカを走る70%(なんとなく、のデータ)ぐらいのCNGに新しくこの左右のドアが取り付けられている。














この閉鎖感。
たまーにいい感じのCNGに乗ると、ちゃんと内側からドアがロックできるようになっているものがあるが、ほとんどはなんとなく、上の写真のような監獄のようなドアを外から(ドライバーが)ひもだとか針金とかで固定して閉めるようになっている。つまり内側からは開かない。出られない。

閉じ込められているのである。

何で? と私が居候している家の使用人、ミントゥさんに聞いてみたところ、「知らない」という。「でもそれはデンジャラスですね」と明るく笑うので私も笑っていたが、確かに夜など、変なところに連れていかれそうになったときに、飛び降りて逃げることもできない。

などと大げさに書いたが実際乗ってみるとコレ、以外と安心感があるのである、完全に四方を網で囲まれて、ダッカの喧騒から保護されている気分。ホコリはものすごい入ってくるけど。網だから。なるほど、安心感と閉鎖感は表裏一体のものなのだなあ……、とダッカの悪い道をガタゴト揺られながら妙な感慨に浸り……。

何で? とドライバーに聞いてみると「決まりだから」という。「新しい決まりができたんだ。政府が決めたんだ」と。強盗対策、という噂もある。物乞いの方々もあまり寄ってこない。ふーむ、保護されるというのと、閉じ込められるというのは……




その道中、ドラマかなにかの撮影を、むちゃ渋滞している橋のうえで行っていた。今までであれば、ちょっと飛び降りて近くで野次馬して写真を撮るのだが、なにしろ安全に閉じ込められているので、そのなかから盗撮す。

2009年11月18日水曜日

鴻池運輸、バングラデシュに合弁会社



鴻池運輸、バングラデシュに現地法人
(ニュース記事へ 日刊工業新聞 Business Line)


ユニクロなど、日本をはじめ多くの国外からの資本がボッコンボッコン入ってきている現在のバングラデシュ。運送、は間違いなくこれから伸びる業界なんでしょう。通信もそうか。ちょっと前にKDDI参入のニュースもありました。

現地法人の資本金は7万2000ドル、ちょっと驚きです。国外への運送のみを取り扱うのか、国内での物資移動も展開するのか、気になるところです。

ぜひぜひ、一般向け海外輸送サービスも充実していって欲しい。DHLやFedexはすでにあり、ダッカ等大都市から日本へ荷物が確実に送れますが、なにしろ高い。こないだ10kgのボックスを日本に送ったところ、なんと四日で届いたのですが、料金は約6,000TK(9,000円ぐらい)になりました。

とにかく天気が不穏で

ダッカ。

この二日間天気が悪い。昨日の朝など雨。この時期に雨なんてあったかな。やはり今年はおかしいようだ、と他人事、足元の水たまりだけは自分の問題。



これは昨日の明け方。


明日、初代大統領シェイク・ムジブル・ラフマン(現首相シェイク・ハシナのお父さん)の暗殺事件に関しての最高裁判決が出る、判決が出るということは、つまり判決が出るということで、その結果が気に食わない、もしくはそれを利用とする輩が、何かを起こす可能性があるということで、ははぁ、ここはまさしくそういうことが盛んな国だったと思い出す。

何かが起きる、といっても爆弾騒ぎや裸踊り大会などが開かれるわけではなく、道路封鎖や抗議デモなどそういう類のものだ(でも死者もでる)。そしてそれすらもここ、二、三年は活発に行われていない。奇声、じゃなかった規制が厳しくなったからというよりも、何かの妨害をするだけの行動が、政治的にあまり意味をもたなくなってきたのだろう。

しかし何しろ人が多いこの国、どこか一箇所で火がつくと一気にそれが飛び火する可能性は高い、通信の手段はエライ発達しているし。あした何が起こるかは、あしたにならないとわからない。
とにかくこの数日の天気は不穏である。

2009年11月11日水曜日

夕方寝ちまったとき

地元の近くの飲み屋街に繰り出そう、とやる気になる。九州の北のほうですね。

自分はなぜか長崎にいて、こっから、車がないもんで、どうやって鈍行列車で飲み屋街まで行こうかと、ハイロード・マップなど眺めながら楽しく、あーワクワクだなあ、とかいって興奮して、よしよしここで乗り換えてこっから急行乗っちゃおうか、なんつって乗り換え案内のウェブサイト見たりと、

言ってたところで目が覚めて、あ、ここはどこだいどこの駅が近いんだろう、なんて飲み屋モードの頭で考えて、BangladeshのKalihatiだったと気付いたら非常な脱力。

という夢を。脱力したところまでが夢。

本日もKalihati宿泊。机の上にはイカレタ、いやイカシタ電気スタンドがある。


2009年11月10日火曜日

Kalihati出張、むらひさびさ

朝、クロスロード用の原稿をやっとこさ。送付。

朝、うそ昼からKalihatiへ。懐かしいー見知った村の風景は一ヶ月以上ぶりか。

ドライバーはバブールさん。若い。チッタゴン出身、ダッカコムラプール寺院近くに住むの仏教徒。

CNGスタンドが増えていたり、工場予定地が着々と進んでいたり、変わっていく村の風景。ここはダッカ周辺でもあることだし。今後も急激に変わるんだろう。さみしいなあ村の風景が減っていくのは、と勝手。



 

夕方、クロスロード用の原稿、修正指示戻ってくる。これは速やかに直す。

この日はKalihati日本人ハウスへ宿泊。いつものところです。
夜。冷凍庫にあったいつのかわからん牛タンを解凍して焼肉。いつのだろう。牛タンという時点で以前自分が持ってきたものだろうが、記憶なし。下手すりゃ二年ぐらい前かな。解凍していくうちに、なんだか、こぼした牛乳拭いた雑巾の香り。

おそるおそるでやっぱり食べてみる。あ、平気そうです。

その辺にあったゲド戦記DVD、牛タンかじりながら見る。初めて見る。よくわかりませんでした。

外にある暗い流しで洗い物をしていると、流し台のなかでなんだかピョコピョコ動く。えらいイキのいい金たわしだな、などと思っていると飛び跳ねる。イキがいいにもほどがある、と、やはりそれは蛙。ジャストタバコ箱サイズのヌメっとした彼であった。そういえばここは昔から蛙が良く出たな。トイレの穴からもよく飛び出てきていて、お尻に突っ込まれたら恥ずかしいわ……などと一年ぐらい前に感じていたことを思い出し脱力す。

停電。ダッカ、ジェネレーターありの生活に慣れていると。なんとも愛おしいロウソク明かりと星空(寒い)とまた勝手。ふて寝。

2009年11月8日日曜日

リキシャこぎの光る汗と、非現実的バングラと、動く夕焼け

ダッカ。

11月はまだまだ熱い。空気は乾いているが、カラッとして気分爽快にはもちろんならず、噴出した汗に飛散するゴミほこりがぶつかって悲惨。リキシャでグルシャン2番へ向かう。この時間は渋滞、メインロードのいつもの渋滞をさけようとした車がこっちでも混雑を起こしている。そこに無理やり突っ込んでいくCNGとリキシャ。



私が乗っているリキシャワラの頭。禿げあたまに光るしずく。いつまでも動かない列の見えない先頭を見てため息をつく。そのたびに汗が禿げあたまをすべり落ち、何年もつかっているガムチャへとしみ込んでいく。「あーあ!」とリキシャワラ、欠伸をしながら体を伸ばす。男の体臭があたりに充満する。早く進んでくれよと思う。デジタルカメラのレンズがくもる。

とかなんとかやってグンニャリしていたので、非バングラデシュ的なものに触れようと思い、最近店舗を移転したファーストフード店「A&W」へ。ここは炭酸ジュースをキンキンに冷えたジョッキで飲ませてくれる。ルートビアは嫌いです。そしてここは公衆無線インターネットが利用できる。速度がはやい。いつもの、に比べたらだけど。

としていると、非バングラデシュ的どころか非現実的なものが店内に現れている。



呆気にとられるお客(私を入れて三人だけ)のところをまわり、握手を求めては、





ひととおり踊り、満足しては帰っていく。なんだったのだろう今のは、ああバングラデシュ的なものがなつかしい。



赤い赤いダッカのいつもの夕焼け。たまには、動いてもらう。