2007年4月30日月曜日

村のなかの大きなにぎわい・ボッラユニオン

9時カリハティオフィスへ。今日はカリハティオフィス全体が暇なようだ。

……と思わず書いてしまうぐらいの雰囲気。UDOの書類仕事が終わるのを待ち、12時ごろからボッラユニオン経由でパイコラへ。

ボッラには「タンガイルサリー」の機織工場が多くある。そのひとつを見学。写真をとらせてもらう。カタカタカタというリズミカルな硬い、それでいて軽い音が心地よい。サリー織りの男たちの肌は薄暗い空間に同化して、鮮やかなサリーの色彩と、彼らの真っ白な歯だけが浮き出ている。この空間のなかから、色鮮やかなサリーが生み出されている。

ボッラのスキームの途中(道など)を二箇所見学。どこの村かわからないが、VCのチェアマンにも会う。ちなみにボッラの中心街はかなりの賑わい。映画館もある。また散策に来たいと思う。

パイコラオフィスへ着くが、特にすることもない。FOも今日は不在。UDOもなにか書類仕事らしきことをやっているが、なんとなく暇そうだ。

昼のご飯を分けてもらって、しばしの歓談。彼は5時まではここにいるというので、ひとりバンガリでエレンガ、そこからバスにてカリハティへ、帰宅。

2007年4月29日日曜日

週始まり日曜日、いろいろの始まり

9時カリハティオフィスへ。ジョイニングレターをURDOへ手渡す。ダッカの役人へはコピーをとって渡すので、一枚でいいとのこと。先輩隊員から、オフィス設置のPCの使用方法を教えてもらう。16-3の方々の報告書やその他資料などが閲覧できるようだ。しかしなかなかPCが立ち上がらず。バッテリーの調子が悪いようだ。隣のPCはウィルスに感染したまま、またJOCVが使えるマシンもウィルスソフトが期限切れのまま。

COアニス氏の仕事(?)が終わるのを(2時間半ぐらい)待ってバンガリでガタゴト、パイコラオフィスへ。着いたら二時前ぐらい。

カロハ村。前回も訪ねた道づくりのスキームの最終段階。給料の話し合いと最終決定のサインをもらう。測量をしていたのは、どうやら掘り返した土の容積で、給料の額を決めているようだ。確かに時間制よりもこちらのほうがはっきりしているような気がする……が。

もうひとつ、別の村のスキームへ。レンガで家を造っていたが、何のスキームなのかはわからずじまい。(※追記:複数ユニオンのジョイントで図書館を建設するスキームだった)







右側の枯れ草みたいなんが敷き詰められているのが、普段の道。こうやって乾かす。土に混ぜて屋根や壁の材料にしたり、かまどに火をつけるときに使う。道いっぱいに置かれているので雨が降るとすべって危ない。土手にある茶色いのは牛糞。こうやって乾かす。燃料になる。


4時前、バンガリでひとり、エレンガへ。他の隊員と合流し、引越しのための買い物など。

2007年4月28日土曜日

休日バザール、2タカのチャ

休日。

同期隊員とカリハティのバザールをぶらりとしてみる。先輩隊員無しで、初めて任地の「チャドカン(現地のお茶屋さん)」に入ってみる。やや、緊張。甘ったるい2タカ(3円)のチャに口をつける。落ち着くのである。


このキレイな建物は、ここタンガイルでプロジェクトを行うために日本の資金で建設した「プロジェクト関係者用」の宿泊所である。村のど真ん中に立っていてなかなか目立つ。安全のために警察署の敷地内にあるのだが、この国では警察があまり信用できない、という話を良く聞く。外国人からも聞くし、当のベンガル人からも聞く。ここの国民は「お上」をまるで信用していないところがあるので、まあ話半分ではあるが……。
バングラデシュにアメリカの平和部隊「ピースコープ」が現在派遣されていないのは、かつて派遣されていた女性隊員が警察署内でレイプされたため、という話がある。ウワサだが。

協力隊員は村でのその辺の家を自力で探して借りて住む。家が決まるまでは上の宿泊所で泊まらせてもらった。電気がしょっちゅう無くなるが、快適だ。

※2010.11.06追記 プロジェクトが終了した2010年の現在では、この建物は地元の資産家に買い上げられ、この辺の金持ち用のアパートになっている。

2007年4月27日金曜日

バングラデシュの新しい風 ロケ地にて

金曜日は休日である。

先輩隊員のご家族がタンガイルにいらっしゃっていた。一緒にバングラユニオン・イッチャプール村へ行く。私の派遣前に放送されていたJICA広報番組「バングラデシュの新しい風」のロケ地巡りである。やや興奮。





その後、先輩隊員が仲良くしている村人の家へ。ここの兄ちゃんが新婚さん。



新婚のうちはこうやって飾りつけをするそうだ。旦那のほうは嬉々として「写真撮れ撮れ、俺も撮れ!(撮らなかった)」といろいろ案内してくれる。奥さんはほとんど出てこなかった、が、日本人の集団は女性のほうが多かったので、恥ずかしそうにお茶を出してくれた。先輩隊員のお母さんが、日本からのお土産の髪留めを渡すと、ぎこちない笑顔で受け取っていた。

この家はマッシュルームをつくるサイドビジネスをしている。もう帰国した先輩隊員が始めさせたようだ。今も続いている。

これはバケモノ。バングラデシュの「国の果物」、カタール(ジャックフルーツ)。

2007年4月26日木曜日

カリハティ週ミーティングに初参加す

カリハティWeekly Meeting。

毎週木曜日、朝9時よりカリハティのBRDBウポジェラオフィスにてミーティングが行われる。9:20の開始。

ミーティングの内容であるが、オフィサーひとりひとりが「先週何をしたか」「来週の予定」を発表していく。それがひととおり終わると、URDOなど一応「上」の立場の人間が問題点を指摘し、助言をしていく、もちろん参加者は意見があれば溌剌に述べてはいるが、全体的に「ミーティング」というよりは「報告会」であるな、との印象を受けた。

もちろん会議の内容はほぼ理解できず、先輩隊員に教えてもらった。

「スキームを実施する際に、住民の費用の一部を負担させるのは、『住民参加型』としてのプロジェクトと住民との関係性を強め、維持するためだ」という説明だけ、ふむむ納得。

2007年4月25日水曜日

赴任三日目

朝は先輩隊員に同行してもらいエレンガの家を見に。先輩の見事なダマダミ(値段交渉)により当初の額よりも大幅に下がる。ここで決定。5月の1日から入れるようだ。今から楽しみ。

その後、CO(コンピュータオペレーター)のアニス氏と落ち合い、バンガリ(三輪自転車に板をくっつけた荷車)でパイコラユニオンオフィスへ。バンガリ気に入っちゃった。

その後昨日の村へ。道の舗装について喧々諤々。何を言っているのか、どうしてモメているのかほとんど理解できなかったが、ああ、村落っぽいなぁ、とひとり悦に入る。





オフィスへ戻り、またUDOの弁当を半分もらう。このトルカリ美味しいんだよな。

それから4時ぐらいまで書類を読む(ふりをしながら過ごす)。私のこれからの活動プランなんかを聞かれたが、考えてないし答えられないし、また辟易ぶりが鮮明になるわで、悔しい……。ちくしょうめ。

エレンガからバスでカリハティへ戻る。バス代金は8タカ(が正規料金)。

2007年4月24日火曜日

赴任二日目



朝9時カリハティオフィスへ。とりあえず。

同期隊員とふたりなので少し心強いが、先輩隊員が別の仕事へ出かけた瞬間、やはりの不安感。とっても声の可愛いRA(リサーチアシスタント)の若い女性(しかし子持ちのタニヤさん)に、大使館表敬の際の新聞記事を見せてもらう。感動の最中、我がカウンターパート到着。

自分の担当区域であるパイコラユニオンを案内してもらうことに。つまり、はじめての村らしい村の景観へと。思った通りと言うか、思った以上の、しかしいい意味で意外性もなく、「村」らしい景色に包まれているなぁ、と。

道の舗装についてUDOと村人が話す。そこで物知り顔をする私。虚しい、が、少し嬉しい。その後小学校へも。子供がワァーッと来るのを想像していたが、授業中のため? 誰も来ず。切ない、が、まだまだこれから。

オフィスに戻りカウンターパートふたりとなんやかや話すが、こちらがほとんどベンガル語を解さないことにちょっと辟易ぎみのようだ。

2007年4月23日月曜日

任地カリハティへ・赴任初日

赴任。

カリハティの郡BRDB内、PRDPオフィス内にて顔合わせ。ベンガル語での自己紹介、しどろもどろであたふた。実質的な同僚となるUDO(ユニオン開発官)(男性)とFO(フィールドオーガナイザー)(女性)、ともに良さそうな人柄で安心。

先輩隊員にカリハティの町を案内してもらう。面白そうな商店が多くある。この界隈の探索だけでもしばらく有意義に過ごせそう。

本日から新居が決まるまでしばらく、警察署の敷地内にあるJICA借り上げのゲストハウス(現在先輩隊員3名が住んでいる)の一室にて仮住まいをさせてもらうことに。

2007年4月5日木曜日

行きと帰りじゃ違うのよ。運次第なのよ。そして深夜は結婚式。

ひとり朝からCNGに乗って、ィスクールへ。(バングラデシュの人は英語の「ス」の音を発音するときに「イ」の音が入る)
カントンメント(軍用地)をこっそり通り抜けられた。ミルプールからボナニまで80タカなり。

帰りは同期と相乗り。今度はカントンメントの入り口でアーミーに見つかり、引き返す。ボナニとミルプールはカントンメントを通り抜けできないと(外国人は入れないことになっている)かなりの遠回りになる。ということで朝と同じ移動で130タカ。


さてホームステイ先の僕の部屋は何度見ても豪華過ぎる。寝るときにはお手伝いの15歳少年が水を持ってきて、そしてモシャリ(蚊帳)を張ってくれる。




この家の夕食は夜11時。ベンガル人はだいたいそんなもんらしい。トルカリは老夫婦なので味付けは薄め。ココナッツの風味がある。非常によくしてくれたし、いっぱい食べさせてくれて本当に感謝している、が、ここのトルカリは苦手だったんです。すんません。

寝ようとするとガヤガヤ窓の外でいっている。向かいのコミュニティーセンターで結婚式。

2007年4月4日水曜日

モジャな女性校長アミナ先生と金持ち宅でビクビクのはじまり

このへんの日記は、2010年に、バングラデシュではなく日本で、そのときに書き残していたメモやら日記やらレポートやらを見ながら書いているものです。だからつまりそのときのリアルな、リアルタイムな、リアル興奮な、そんな気持ちやら、終わったあとの、ちょっと冷静になって見た感想なんかが混じっている。深夜特急か!

EBLC(語学学校)の二日目。

もちろん停電は、勉強中にもやってくる。ろうそく灯りの教室。

そして今日から語学訓練の一環、ホームステイのはじまりだ。同期10人がバスに乗せられ、それぞれを受け入れてくれるホスト宅でひとりひとり降ろされる。そのときにならないと、自分がどの家なのかわからない。バスが止まりそうになったときのまわりの風景なんかを見て、「ここか……」「ここはヤだな」「いいな」などと密かに喚起恐怖の繰り返し。

右に見える建設途中みたいなアパートが、同期のホームステイ先。



空き地でこどもたちが、クリケットをしたりギャングみたいな雰囲気で遊んだりと、見ていて飽きない。



バスはミルプール地区を走る。


僕がホームステイさせてもらうのがココ。「イチバン当たり」とされている(あとで知った)家で、ホストファミリーのなかでは最も金持ちでいい家。これまたあとで同期に確認すると、個室が与えられていたのは自分だけだった。ホームステイというか、ペンションに泊まっているみたいだ。

この家はおじいちゃんとおばあちゃんの老夫婦と、その孫のイザン、三人の暮らし。娘夫婦は海外にいるそうだ。しかしこのときの僕のベンガル語はさっぱりだったので、「死んだ」説もある。
ここのおじいちゃんは、数十年前、まだこの国が東パキスタンだった時代にクリケットのナショナルプレーヤーだったそうだ。家にはその頃の写真やトロフィーがいっぱい飾ってあった。

これがこの家の王様、イザン。クソがきである。

カメラをとりあげられる。

この家に住み込みで働いている少年。料理、洗濯、掃除は彼の仕事。15歳。

この人はドライバー。プライベートカーを持っているホストファミリーもここだけだった。

夜は車で知り合い(親戚?)の結婚式へ。400人ぐらいの人がいて、あまり話せない僕は周りの人にニコニコしながらトルカリをかきこむ。疲れた。

2007年4月3日火曜日

ダッカ・ボナニ・高いところから失礼します

この日から語学学校開始。あ、これ、低レベルのクラスに配置されたぜ。燃えるぜ。

クラスは違うが、同じ時期に韓国のKOICA(コイカ)ボランティアもいるようだ。彼らは協力隊と違って事前の訓練が無い。なかなか大変なようだ。生活費はKOICAボランティアのほうがいいみたい。
KOICAボランティアのうちのひとり、キレイな女の子だがオロナなどしてない。サロワカを着ていない。ノースリーブにジーンズ、完全に「自国での私服」と同じだ。さすがだ。そしてワキの下が青く塗られている。なんなんだ。さすがだ。

語学学校のあと、同期とメシを食べに行く。さすがの首都ダッカ、ということでビルの6階ぐらいにある(階段でのぼったが)ちょと洒落たようなレストランに行ったのだ。

まあ客は他にいないし、電気もついてないし、「停電だったから料理時間かかるよ」とか言われてすごく面倒くさそうにオーダーとられたけど、まあいいんだ。

そのレストランからの風景。ここはボナニ地区。

 グルシャン2方面を見たところ。向こうに見える高いコンクリむき出しのビルは、建設中の「ウェスティンホテル」


向かいのビルの屋上では水浴びをするオッサンもいる。四月アタマ、もうかなり暑いのだ。雨もまだ降る時期じゃない。



2007年4月2日月曜日

四月バカ明けは説明ばかり

オリエン、オリエン、オリエン……。

その後、帰国隊員の報告会。自分の前任の報告がおもしろい。お疲れ様でした。

2007年4月1日日曜日

ボウズがボウズをボウズにしていたよ

JICAオフィスへ。専用バスの快適さよ。

所長表敬。しゅっ、とした感じの女性だ。(※追記。このときの所長は、この後事業仕分け行政法人編でテレビにうつっていた「萱嶋信子」さん)

病院で予防接種。なんの注射だったか……。

昨日一緒にニューマーケットに出かけた同期の男連中。四人のうち自分を除いた三人すべてが坊主頭である。「プレッシャーに感じてると思ったら大間違いだ!」と言ってある。

そんな彼らはドミトリーでボウズのケアに余念が無い。


なんてエイプリル・フールな光景だ。

夜、村落、リンクモデル組の歓迎会に招待してもらう。海田先生ご夫婦とも初対面。ごちそうさまでした。